このページでは、奥州市立衣里小学校の校名の由来、校章の歴史、校歌の歌詞と作詞者・作曲者について紹介します。
創立100周年記念誌(昭和63年・1988年)の「本校の沿革の概要」には、次のような記載があります。
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夜を重ね 深山立ち出る 不如帰
衣の里に 来つつ鳴くなり
夫木和歌抄 平 為盛(よをかさね―みやまたちでる―ほととぎす―ころものさとに―きつつなくなり)
白妙に さきかさなれる 卯の花は
衣の里の つまにぞ有りける
夫木和歌抄 藤原忠隆(しろたへに―さきかさなれる―うのはなは―ころものさとの―つまにぞありける)
古歌には、「衣川」や「衣の里」を詠んだ歌が多く残されています。
瀬原・上野両小学校を統合して、当初は明倫小学校と呼んでいましたが、明治25年に「衣里」と改称されました。
このように、いにしえの歌に詠まれた「衣の里」をもとに校名が定められ、現在に至っています。
1920年(大正9年)、衣里尋常小学校の新校舎が落成しました。その後、1924年(大正13年)4月に高等科が併設され、「衣里尋常高等小学校」に改称されました。
その当時の校章が、現在の校章の原型と考えられています。弦を張った5本の弓が円を描くように並べられ、その弦が五角形を形づくっています。さらに、2本の矢羽根がV字に置かれ、その中心に「衣里」の文字が入れられていました。(衣里館所蔵)
現在の校章(左図)は、3本の弓と3本の矢羽根で構成されています。
当時の校章を簡略化したデザインと考えられますが、その由来や制定された年などの記録は失われており、詳しいことは分かっていません。
衣里小学校のある地域は、平安時代の古戦場として知られていることから、弓矢をモチーフにしたものと考えられています。
作詞 菅川 九二 作曲 吾妻 寅蔵
校歌の歌詞
一
遠き昔の 戦場と(いくさばと)
世に知られたる 衣川(ころもがわ)
波立たぬ世の めぐみにて
まなびの庭の 年々に(としとしに)
茂り行くこそ(ゆくこそ) 楽しけれ
二
清き流れの 水かがみ
影なつかしき まなびやに
集うわれらは 身をきたえ
心みがきて 末ついに(すえついに)
よき名をながく 伝えまし
作詞者・作曲者について
菅川九二は、明倫尋常小学校の初代校長を務めました。在職期間は、明治19年2月から大正3年1月までです。
吾妻寅蔵については、現在のところ詳しい資料が残されていません。